第1話 四十二年目の着信
コールドスリープから目覚めて、最初に聞いたのは着信音だった。
冷却液が抜けていく音に混じって、短い電子音が二度。
「通信を受信しました」
私は返事をしようとして、咳き込んだ。管理知能が寝台を起こす。差し出された吸い口から水を飲んでも、喉の奥にはまだ何かが張りついていた。
枕元の画面に、文字が浮かんだ。
まだ起きてる?
送信者の名前を見て、私は水を飲むのをやめた。
母だった。
「……何年、経った?」
「地球を出発してから四十二年です」
眠る前、母は六十四歳だった。
私は自分の手を見た。出航前につけた小さな傷が、まだ親指の付け根に残っていた。
「返信は可能です。地球への到達には三十一年後です」
母の名前の横で、受信時刻が一分前に変わった。
出航前、母と喧嘩した。
片道切符の移民計画に応募した私に、母は最後まで反対した。
「向こうに何があるの」
「……ここにないもの」
そう答えると、母は台所に戻った。包丁がまな板を叩く音だけが、長く続いた。
出航の日、母は港に来なかった。
私は船に乗り、私物を棚に収め、母との通信欄を一度だけ開いた。何も届いていないのを確かめてから、休眠区画へ向かった。
添付画像があります
画面に、写真が表示された。
黄色い両手鍋。取っ手の片方が焦げている。
カレーだ。
目覚めてから初めて、空腹を感じた。
母のカレーには、いつもじゃがいもが一つだけ、煮崩れずに残っていた。私の皿に入れるため、途中で取り出しておくのだ。
写真の端には、皿が二枚見えた。
私は画像を拡大した。鍋の向こうに、母の手が少しだけ写っていた。
「送信されたのは、いつ?」
管理知能が日付を示した。
母は七十五歳だった。
あの台所で、十一年後にも母はカレーを作った。皿を二枚出して、写真を撮り、眠っている私に、まだ起きているかと聞いた。
私は返信欄を開いた。
元気です。
ちゃんと食べています。
あのときは、ごめんなさい。
二行目を消した。まだ水しか飲んでいなかった。
残った文字もしばらく眺めてから消した。
起きてるよ
送信ボタンに指を置く。
「送りますか」
「うん」
通信が送られると、画面には母との履歴が残った。休眠中に届いたメッセージが、いくつも並んでいた。
私はいちばん下まで遡った。
-出航の日。港を離れて、八分後。
母からの最初の一通を開いた。
着いたら連絡してね
「到着までは?」
「あと十九年です。次の休眠に入る前に、お食事を取ってください」
私はその通信に星印をつけた。
それから、食事の一覧を開いた。
カレーはなかった。
豆のスープを選び、温まるまでのあいだに、母からの二通目を開いた。