第3話 次の本へ
澪が本を閉じたとき、雨はあがっていた。
雲の切れ目から細い光が落ち、ホームの水たまりを白く照らしている。遠くで踏切の音が鳴り始めた。
「次の列車は、あと十五分です」
女の人は本を受け取ると、窓際の棚へ置いた。
そこには色も大きさも違う本が並んでいた。どの背表紙にも、小さな銀色の鳥が貼ってある。
「この図書室は、晴れの日には閉まっているんですか」
「ええ。晴れている日は、みんな外へ行けますから」
女の人は椅子をしまい、窓を少し開けた。湿った風が部屋を通り抜け、紙の匂いを連れていった。
澪は立ち上がり、カウンターに残っていた栞を指した。
「これは、本に挟んでおきますか」
「それは、お持ちになって」
「でも、借りたものなので」
「本を返しに来た人には、栞を差し上げるんです。次に読む本で使ってください」
澪は銀色の鳥を掌にのせた。折り目の端が少し丸くなっている。十二年の間、青い表紙の中で眠っていた鳥だった。
待合室へ戻ると、ベンチにひとりの青年が座っていた。
作業着の袖をまくり、濡れた傘を足元に置いている。澪が出てくると、青年は図書室の扉に目を向けた。
「もう、閉まりますか」
「たぶん。でも、一冊だけなら間に合うと思います」
青年はうなずいて立ち上がった。その指先に、小さな紙の鳥があった。
澪は思わず振り返った。
「あの」
言いかけて、言葉を選び直した。
顔も声も、記憶とは違っている。確かめるには十二年は長すぎるし、確かめなくてもいいような気がした。
「窓際の棚に、青い本があります」
青年は少し驚き、それから笑った。
「ありがとうございます。探していたんです」
列車がホームへ入ってきた。
澪は今度は急がずに、ゆっくり乗り込んだ。窓から見ると、図書室の明かりはまだついていた。
鞄から読みかけの文庫本を取り出し、銀色の鳥を挟む。
帰る場所というのは、同じ形で待っている場所だけではないのかもしれない。
置いてきた言葉に、新しい言葉を返せる場所。それも、帰る場所と呼んでいい。
列車が動き出した。
澪はページを開いた。窓の外には、雨に洗われた青空が広がっていた。
おわり