玄関に人がいます(星乃 独酌)

第1話 見守りカメラ

母の死後も、見守りカメラの通知だけが届いた。

一人暮らしを心配して、私が実家の玄関に取り付けたものだ。

葬儀のあと、通知を切ろうとして設定画面を開いたが、母の名前を削除するのが嫌で、そのまま閉じた。

最初の通知は、午前二時十七分に来た。

〈玄関に人がいます〉

映像を開くと、母が立っていた。お気に入りだった薄紫の服を着て。

うつむいているので顔は見えなかったが、右の肩が少し下がる立ち方は、間違いなく母だった。

音声をオンにした。波の音がした。実家は、海から百キロ以上離れている。

母が何か言った。音量を上げた瞬間、映像が止まった。

翌朝、叔父に実家を見てもらった。

玄関は施錠されていて、誰かが入った形跡はなかった。ただ、たたきが濡れていたという。

母の遺品を調べ始めたのは、それからだった。

書斎の引き出しに、大学時代の調査ノートがあった。沿岸集落の聞き取り調査。七人の学生で、三日間滞在している。

挟まっていた写真には、崖沿いの石段に立つ若い母が写っていた。背後の海から、建物の屋根らしいものがいくつも突き出している。

ノートの初めのほうには、住民の話や家屋の間取りが几帳面に記されていた。後半は、短い覚え書きばかりだった。

〈引き潮で道が出た。集落の人は降りない〉

〈階段の途中から、波の音が上から聞こえる〉

〈窓だと思っていたところにも階段がある〉

最後の日付のあとに、別のペンで追記があった。

〈動画には、私たち七人が全員映っている〉

〈帰ってから、一人ずつ聞いた〉

〈誰がカメラを回していたのか、誰も思い出せない〉

映像は、小さなテープに残っていた。変換を頼んだ業者からデータが届くまでの五日間、通知は毎晩、同じ時刻に来た。

母は少しずつ顔を上げていた。四日目には、口もとが見えた。口を動かしているのはわかったが、私は音声をオンにしなかった。

届いた昔の動画は、明るかった。

海風に髪を押さえる母。測量器具を担いでふざける学生。

七人が石段を降りていくのを、カメラが追っている。

途中で母が振り返った。

「あ、ありがとう」

画面の外から飲み物を受け取り、笑う。そのあとも、学生たちは何度もカメラに話しかけた。

荷物を持ってもらったり、足場を教えてもらったりしているらしかった。返事は録れていなかった。

映像の終わり近くで、七人は広場に出た。

周囲には、何層も重なった建物があった。壁面の途中に戸口があり、その下にも上にも階段が延びていた。

映像を止めても、どの建物がどこに立っているのか、うまく掴めなかった。

母たちは中央を見上げていた。カメラも、ゆっくり上を向いた。何かが映る直前に、動画は終わった。

その晩、私は母の映像の音声をオンにした。

波の音。

長い沈黙。

そして、若い男の声が言った。

「もう少し下がって。全員入らない」

母が一歩、玄関から離れた。

ノートにあった学生の名前を、順番に検索した。一人は十七年前に亡くなっていた。別の一人は、九年前に失踪していた。

連絡先を見つけられたのは、一人だけだった。母から毎年年賀状が届いていたという、遠方に住む女性だった。

玄関の映像を送ると、すぐに電話がかかってきた。

「あなた、どこまで見えてる?」

「母の顔が、少しずつ....」

「違う。後ろ」

映像を開き直した。母ばかり見ていたので、気づかなかった。

実家の門は、玄関から五歩ほどのところにある。けれど画面では、門柱がひどく遠かった。その間に、階段があった。暗く、濡れた石段。

「うちは、夫が映るの」

女性は言った。

「夫はあの旅行に行ってない。あの人たち、誰が一緒に来たか、もう区別がつかないのかもしれない」

「あの人たちって、誰ですか」

返事の代わりに、布の擦れる音がした。女性は声を落とした。

「もう、見ないようにして」

電話が切れた。

午前二時十七分。

〈玄関に人がいます〉

母が正面を向いていた。その後ろに、六人が立っていた。

若いままの人と、老いた人がいた。私は昔の動画を開き、顔を見比べた。動画の七人が、揃っていた。

母は胸の前で両手を重ねている。葬儀の前、私がそう置いたのだ。

カメラが後ろへ動き始めた。壁に固定されているはずのカメラが、玄関を離れ、ゆっくりと下がっていく。

画面の端に門柱が入った。石段が入り、建物が入り、その向こうに別の建物が現れた。

母たちは遠ざかった。それでも、まだ全員が入らないらしかった。カメラは下がり続けた。

海底の広場に、七人ずつの集まりがいくつも並んでいた。服装も、肌の色も違った。見たことのない形の衣服を着た人々もいた。誰もがカメラを見ていた。

私のスマートフォンから、若い男の声がした。

「そこにいて。もう入るから」

画面に自分の顔が映った。暗くなって反射したのだと思った。けれど映像の中の私は、母の隣で、まぶしそうに目を細めていた。

頬に、冷たい風が当たった。すぐそばで母が言った。

「笑って。撮ってくれるって」