玄関に人がいます(星乃 独酌)

第3話 ビデオテープ

そのテープを持ち込んだ女性は、最初に、音声も残せるかと尋ねた。

「録れていれば、そのまま入ります」

「小さい声でも?」

「多少なら上げられます。ただ、雑音も大きくなります」

女性は鞄から小さなテープを出した。透明なケースの中に、鉛筆で大学名と日付を書いた紙が入っていた。

三十年以上前のものだった。

「母の学生時代の映像なんです」

「どんな内容か、ご存じですか」

「大学の調査旅行だと思います。母が亡くなって、荷物を整理していたら出てきたので」

私は受付票の〈内容〉に、調査旅行、と書いた。

納期は五日後と伝えた。

女性は少し迷ってから、尋ねた。

「途中で切れていても、そこまで全部残してもらえますか」

「はい、全部お渡ししますよ」

女性は、そこで初めて少し表情を緩めた。

作業室は受付の奥にあった。

窓はなく、再生機器の放熱で、夏は空調を強くしても暑かった。

テープの変換は、再生して取り込めば終わりではない。

途中で音が抜けたり、画面が乱れたりするので、取り込んだあとにも確認がいる。

依頼のテープには、海辺を歩く学生たちが映っていた。

若い女性が、風に飛ばされそうな紙を押さえている。

別の学生が、測量器具を担いでいる。

七人いた。

石段を降りる場面が長かった。

学生たちは、ときどき振り返って何かを言った。

「こっちですか」

「あ、すみません」

「それ、お願いします」

撮っている人の返事は聞こえなかった。

波と風の音が大きかった。

途中、髪の短い女性が、画面のこちらへ手を伸ばした。

「あ、ありがとう」

飲み物を受け取っていた。

女性が顔を上げたところで、私は再生を止めた。

受付に来た依頼人と、よく似ていた。

私は確認票の〈人物〉に、七名、と記入した。

翌日、映像の続きを確認した。

学生たちは、建物の間を歩いていた。

壁の途中に戸口があり、その下にも上にも階段が延びていた。

一人が石段を降りた。

後ろからカメラがついていく。

降りきった学生は、さっき通った戸口の上に立っていた。

私は少し戻して、もう一度見た。

途中で映像は切れていなかった。

カメラも傾いていなかった。

学生は振り返り、後ろの人に手を貸した。

全員、足を滑らせずに降りていた。

確認票の〈映像の乱れ〉に、なしと記入した。

先へ進めると、建物の窓から別の階段が出ていた。

七人はそこを通った。

狭いところでは荷物を先に渡し、一人ずつ身をかがめた。

カメラは最後に通った。

私は、よくぶつけずに撮ったものだと思った。

映像は、広場で終わっていた。

学生たちが中央を見上げる。

カメラも、ゆっくり上を向く。

そこで画面が青くなった。

元のテープを再生し直したが、同じところで終わった。

取り込みの失敗ではなかった。

依頼人の言葉を思い出し、その先も再生を続けた。

何も録れていない部分が十分ほどあった。

私はその十分間、画面を見ていた。

三日目は音声を確認した。

学生たちの声には、聞き取りにくい箇所があった。

波の音に隠れて、語尾だけが残っている。

私はヘッドホンを着け、短い区間を繰り返した。

髪の短い女性が、撮影者に話しかけていた。

「これ、ちょっと持ってて」

肩から鞄を外し、カメラの脇へ差し出した。

鞄が画面の外へ渡り、女性は空いた手で髪を耳に掛けた。

女性はそのまま先へ歩いた。

次の学生も、通り過ぎるときにこちらを見た。

「ありがとうございます」

私は小さく頭を下げた。

そのまま次の区間へ進めかけて、手を止めた。

作業室には私しかいなかった。

ヘッドホンを外した。

再生は止まっていた。

私は首を回し、少し休憩することにした。

四日目の午後、依頼人から電話があった。

「すみません。母の声は、聞こえますか」

私は作業室の画面を見た。

髪の短い女性が、石段の途中で振り返っていた。

「何人か、お話しされています。どの方がお母様かまでは」

「髪が短くて、白っぽいシャツを着ています」

やはり、その女性だった。

「はい。聞こえますよ」

受話器の向こうで、息を吐く音がした。

「よかった」

私は、音声を大きく調整しないことを伝えた。

無理に声を拾おうとすると、かえって聞きづらくなる場合がある。

女性は、それでいいと言った。

電話を切ってから、私はもう一度、その声を聞いた。

「あ、ありがとう」

飲み物を受け取った女性が笑った。

私は今度は頭を下げなかった。

五日目、納品するデータを確認した。

私は、元のテープが途中で終わっていることを書き添え、依頼人へデータを送った。

夕方、返信が来た。

〈ありがとうございます。今夜、確認します〉

私は元のテープをケースに戻した。

返送用の箱を出し、緩衝材を詰めた。

机の上には、まだ確認用の映像が開いていた。

七人が広場で、中央を見上げている。

最後のところを、もう一度再生した。

カメラが上を向いた。

私は画面へ顔を近づけた。

そのとき、学生の一人が何か言った。

止めて、少し戻した。

ほかの学生も同時に話していて、うまく聞き取れなかった。

私はヘッドホンを着けた。

「もう少し上、撮れる?」

「はい」

私は顔を上げた。